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とうとう12月になりましたので。 [日記]

本当に本当に御無沙汰してすみません<m(__)m>

師走に入っちゃいましたので・・・。

前回の記事の少し前

七月のある暑い日に

私にとってとても辛い出来事がありました。。

読者の方なら

わかると思いますが・・。

それでちょっと書けなくなりました。。。

普通に生活してはいるものの

普通に笑ったりすることがあっても

心のどこかにひっかかるものがあってね。。。

でも

やっぱり書いておきたい。

そうすることで気持ちの整理ができるのかと。

仕事が休みになったら書かせていただきます。

それまでみなさんお体大切に。

クリスマス

買いだめしたナビスコリッツにクリームチーズをのせて

ボジョレーヌーボーを飲むのが楽しみな私でした。。


8月になってまた続きを書きます。。その31 [日記]

そう、大事なことを忘れていた。

お父さんはどうしたいのか?」

あのね、施設にもどるか、・・・・病院に行くかどっちがいいか。

本人にだって権利はある。

その時はまだ意思疎通があったので聴いてみた。

「・・・・病院」

そうなんだ。

昔から几帳面で

悪いところがあるとすぐ医者にかかっていた。

「お医者さんが好き」っていうか

安心できるのかもしれない。

偶然にも

その病院は10年ほど前にかかりつけの病院の紹介で

高血圧のため緊急入院したことのある病院だった。

そんなことがあったのか。。

家族は私に知らせていなかった。

経口栄養を取り

少し元気になってリハビリも導入され

安心して帰って行った1週間後位経った頃だろうか。

ある日の午後病院から電話があった。

「呼吸状態が悪いので酸素吸入をしている」と。

誤嚥性の肺炎を起こしているそうだ。

明日でもいいのかどうか。

「いやなるべく早く」

取るもとりあえず

4時半頃には病院に着いていた。

ICUにいた。

おとうさん、おとうさん」

目を開いていたがわかったのかわからないのか。

目に涙をためていた。

吸入器に鼻が当たっていて内出血している。

辛いのか苦しいのか。

ティッシュでそっと涙を拭いてあげた。

触ってもいいですか?

腕やほおをなでてあげた。

ICU担当の医師

昔入院した時に診ていただいた医師で

父のことを覚えていた。

そのころからみるとずいぶん変わり果ててしまっていた。

一時期は肺が真っ白で意識不明になっていたけど

持ち直して血圧も良好で

良い方向に向かっていると。

よかった。

このまま点滴で栄養を取り肺炎が治って良い状態が続けば

また病棟に戻れるという。

本当に良かった。

他の患者さんがいるため

長い時間はいられないのだ。

医師からの促しもあり

仕事があるので

一旦家に帰ることになる。

その続きはまた。


そしてそして29の続きは。。その30 [日記]

胃ろうの手術ができなくて食道ろうという

のどからチューブに直接栄養を入れるという手術をしていた父。

3カ月おきに手術した救急病院でチューブの交換をしていたが

療養型の病院に戻ったその日の夜

違和感があって苦しんでいたそうだ。

そしてまた緊急に救急病院に行き

チューブを外すことになった、。

これからは口からの経口栄養だが

誤嚥の危険があるので

注意するようにと

療養型の病院へ申し送りがあったそうだ。

しかし

風呂も入れないし体を拭いたり下着の交換すらできない病院で

誤嚥を注意するようにと言われても無理だろう。

コップに入れた流動食をさっと呑み込んでいる父。

おなかが空いているのだろうか。

そのときだってほったらかしだ。

度々ベットから出ようとして転倒していて

腕があざや内出血で酷かった。

窓際から

壁際のベットに寝かされるようになった。

いつシーツを交換したのか。ベッドの清掃はしてるのか。寝床の上は体の垢かフケみたいなものがあり

汚れていた。収納ケースを貸してくれたが

蓋が相当汚れていてほこりかカビみたいなのがつもっていて

ティッシュで拭かないといられなかった。

父がベットから出ようとしている。危ないので

一度通りがかった看護師さんを呼んだけど

聞こえないふりをしていた。

そして他の人に私のところへ行くよう、促していた。

重たくて寝返りさえさせられない。

救急病院の医師に尋ねたことがあった。

「先生だったら、施設と療養型病院のどちらを選びますか?」

積極的な治療をしない療養型病院より

施設から救急病院へ搬送すれば助かる可能性を

相談員さんから促され

悩んでいた。

「私なら自宅に連れて行きますね。」

はー。それができないから悩んでいるんだ。

先生みたいに恵まれていたらさ、迷わなかったけど

東京で狭い暮らしで、昼間誰もいない状況で。。。

できるわけがなかった。

それで療養型の病院を選んだのだ。

母親の病院へは

1か月くらい待てば転院できるそうだ。

それまでは我慢させるしかない。

できるだけ体をきれいにしてあげて

病院を後にした。

その続きはまた。


28の続きを書くと。。その29 [日記]

父親のいる病院はあまりにも衛生的ではないため

母親のいる病院への希望を出したら(認知症専門だが内科もある)

順番待ちでならと許可がでた。

その間、ちょっと不自由だけど

我慢してもらおうかね。。

ある日のこと鼻毛とかひげがあまりにも伸びていた。

慣れない手つきで

電動ひげそりを使い、ハサミで鼻毛をカットしてあげた。

ちょっと気持ちがよさそうだ。

 空家のことも不動産屋さんや行政書士さんに会い、

色々と動いていたため

父親に尋ねてみた。

「もう子供達に家は譲ってくれる?」

父は手で振り払う仕草をした。

きっと家に帰りたいのだろう。

いや、まだまだお前達なんかには任せられないよ。

そう言っているのだろうか。

家の除草とか、外の庭にあったがらくたの処分、雨どいの補修。

色々と頼んであって、だいぶきれいになろうとしていた。

あとは中の荷物の整理ですね。

25年も住んでいた家で

荷物や家具が多くなかなか大変なので専門の業者に見積もりをしてもらっていた。

「きれいにしているから安心して。」

お金のことも良く気にしていた。

「大丈夫だから。」

うんうん、とうなずいた。

大好きなアンパンを食べたいようですが

まだそんな状態ではなく

流動食をのどから流し込んでいた。もうちょっと待って欲しい。もう少しだよ。。

また来るね。

内出血の酷い、父の細い手をそっと握った。

続きはまた。


昨日の続きを書くと・・・。その28 [日記]

父の病院へは2.3週間おきに行っていた。

着替えとかその他新しい時計などを持っていった。

母親の病院や実家へも行っていたので慌ただしい。

バスの時間もありほんのわずかで帰ろうとすると

「もう帰るのか?」

あれ?わかってるんだね。

なんだかぼおっとしていつも寝ているみたいだけれどね。

ベットから出ようとして度々転落し、腕の内出血が酷かった。腕そのものが赤い。

GWには娘たちも一緒に連れてお見舞いに行った。

痩せてしまって変わり果てたおじいちゃん。

長女は特に良く面倒を見てもらっていたから戸惑っていた。

「誰だかわかる?」

3.4年は会っていなかったのであまりわからないようだった。

それでも一緒に写真を撮る。少し穏やかな表情になった。

おかしいな。

2週間おきにきていても下着の替えが1.2枚しかない。

どういうことなのか。

食道ろうのチューブ交換のために救急病院へ向かうため父の病院へ迎えに行くと

頭はボサボサでフケだらけ。

ひげは伸び放題。

下着の交換は2、3か月で2枚くらい。

愕然とした。

転院先の救急病院で急きょとこやさんに頼みカットしていただく。偶然その日に床屋さんが来ることになっていた。

療養型の病院の話によると

病院のお風呂が故障していて入れなかったそうだ。

体を拭くことも下着の交換もほとんどなかったらしい。

ため息をついた。人間扱いじゃないよ。

これから暑くなって行くのに

これではどうしようもない。

救急病院の相談員さんに窮状を訴える。

とりあえず元の病院に戻ってから転院を考えるしかないそうだ。

戻ってから療養型病院にせめて体を拭くだけでもとお願いした。なぜ家族に説明が無かったのか。

担当の医師は早口でまくしたて

もう治ったから順番に入浴しますと。

いいわけかよ。ふざけんじゃないよ。家族が言わないんだったらそのままだったんだ。

どうもおかしかった。

行くたびに病棟の患者が減っていた。

男女でほとんど数人になっていた。

そして母親の病院への転院を頼むことになった。

その続きはまた。


この前の続きを書くと。。その27 [日記]

入院したまま荷物置いて施設にいると

部屋を借りているわけだから

入院と部屋のお金と二重払いになるため

すぐに荷物を引き払った。

施設に行って荷物をまとめ

タクシーで実家に向かい、荷物を置く。

わずか10日しかいなかったのに

その月の施設の支払いは14万。。入院費は12万。

もっと早く決めたらよかった。

救急病院から次のところは

療養型の病院だった。終末期まで診てくれるところ。

見学しておけばよかったけど

HPでみていると大きい病院ですし、救急医療もやっているようで

安心していられそうだ。

でも

やっぱり見学した方が良かったかなって思う。

施設と医療の最先端の救急病院を往復すれば

命は助かるのかもしれないけど

いろんな意味で限界だった。

療養型病院に行き

食道ろうのチューブ交換を

3カ月おきに救急病院で行うという選択をした。

久々の外出で

車いすの父は外をじっと見つめていた。

ここの場所は…町。わかるかな?

教えながら記憶をたどって行ったようだ。

「あちこちあちこち行って・・・」

ベットに寝かされながら父はつぶやいた。

「牛乳が出したままだ。しまいなさい。」

そういった幻覚もみられた。

車が無いと買い物もできない郊外の病院。

時計の電池をタクシーで買いに行ったら

単3と単2を間違えて買ってしまった。

ごめん。この次に買ってくるよ。

洗濯は家族がしなければならず

大量に下着を買い、

2週間後にまた来ることにした。病衣とタオルレンタルだ。

いつも手を握って握手をして帰る。

帰る前に

担当の医師との取り決めを行い

延命措置について尋ねられた。

人工呼吸、心臓マッサージ(骨が折れてしまう)は本人の負担になることを説明され

安らかな最期を終えるよう

延命しないことに同意し

サインした。。

また来るね。

そう言って帰った。

続きはまた。


それから結果としてどうなったかというと。。 [日記]

胃の腫瘍は良性のもので経過観察。

その他大腸がんや胃がんに関しては異常なし。

 よかったよかった。

貧血は女性特有のものでがんによるものでなく、増血剤を処方されました。

 しかし腰の激痛で整形外科に行き頸椎狭窄症と診断され、(もともと生まれつきのものです)

しばらく通院しています。

そんなこんなで過ごしていたら

自分にとって大変な出来事がありました。。

その続きはまた書きます。

暑いけど皆さんお元気で。


そしてさらに検査の結果は。。 [日記]

もう、内視鏡検査ってイヤッ!!

苦しくて痛くてねー。

それで十二指腸とか胃とか

苦しくてウンウン言いながら診せてもらったのですが

なんか大小合わせて5、6個あるところにポリープがみつかりました。(驚)

それでその腫瘍についてまた検査することに。。。

結果はまたご報告します。

とりあえず

増血剤と鳥レバー、プルーンなんかも買って食べました。 

あとお茶なども貧血にいいらしいです。

お茶屋さんに聞いてみたので注文しなくては。。

では皆さんもお体大切に・・・。


検査の結果・・・。 [日記]

毎日更新は大変ですね。。

 実は血液検査の結果がでまして。。。

「貧血」でした。。

しかももう鉄分がゼロに 近い位。

どうもなんだかめまいがしてしんどいと思っていました。

詳しい検査もいろいろすることに。。。

ではわかったらまたご報告をしますね。

みなさんもお体大切に。。 


その後の経過はどうなったか・・・その26 [日記]

技術的にも設備的にも

最先端の病院

父は食道ろうの手術を受けることになった。

看護師が2時間おきに巡回し

4人部屋と言ってもかなり広くて負担に感じない。。。

しかし以前からの歯ぎしりが酷く

周りに迷惑をかけていた。

歯科の先生に見てもらい

マウスピースをつけてもらった。

保険適用なので

確か5千円かからない位で作った。

施設に来てもらっている歯科医師はだめだ。何もしてくれないでいた。

そして担当の医師から

口の中が非常に汚れていたことも告げられた。

施設選びについて問われたら

真っ先に言うと思う。

「口腔ケアがちゃんとしているところ!」と

父のいた施設は

24時間看護師常駐といっても

夜間は手が少なかった。

どこもそうかな。

夕食の時間に訪ねたら

10人食べているところに

介護士一人くらいしかいなくて

介護士さんは走り回っていた。

まともに歯磨きをしたことはあったのか。

そういえば

歯ブラシの交換を告げられたのは1年後くらいだ。。

ばい菌が口の中にあると

誤嚥した時

体の中にばい菌が入りこんで

病気になったりするそうだ。

もっとよくみてあげればよかった。。

そういえば

ここのところ良い介護士さんや

ケアマネージャーさんが

数人辞めていったことがあった

何かあったのだろうか。。

手が無くて外部から頼んでいる介護サービスもあった。

うーん。

ケアマネージャーは施設に留まる事を勧めていた。

しかし

食道ろうになると話は別だ。

病院の相談員さん、内科の担当医と話した。

この病状だと

まず老人保健施設や特別養護老人ホームは

受け入れしないそうだ。

 あとは看護師常駐の今の施設か

療養型の病院のどちらか。つまり終末まで診てくれる病院だ。

数ある施設の中で

よそを探すのはもう不可能に近い。

ため息をついた。

病院は決まるまで入院してもよいというが

施設や病院に2重払いが重くのしかかっている。

何しろ最先端なので

洗面具、着替え、おむつなど

入院に必要なセットは1日一定の価格で毎日支給してくれる。

必要なものはほとんどいや全く買わずに済んだ。

高いけどあまり来られないので仕方なかった。

「1年半前は介護2!?」

医師が驚いていた。

ほんのわずかな期間で

寝たきりに近い状態になった父。

施設が辛かったのかどうか。

「やっぱり家はいい。」

そう言って座イスに座ってテレビを観ていた父を思い出した。

相談員さんが

療養型の病院についていくつか提案してくれた。

施設はもう辞めようと決めていた。。

その続きはまた明日(かもねと言っておきましょう。。)

おやすみー。


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